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鍼灸の歴史(その2)  日本への東洋医学の伝来と日本化(〜江戸時代)

  • 日本での東洋医学の歴史をみてみましょう...

    [縄文時代・弥生時代]  (医学の記録ははっきり残っていない)

     日本の医学の記録ははっきりと残っていない。縄文から弥生時代に定住化が進み、稲作が盛んになったころ(紀元前3-2世紀)には、日本の人口は推定600万人ぐらいとされ、まとまった考えの下、医療行為が行われたと推測される。


    [大和時代・飛鳥時代](中国医学の伝来) [鍼灸]:鍼博士、鍼生といった官職誕生

    6世紀頃、東洋医学は、最初、朝鮮半島(百済や高麗)から日本に伝えられ、その後、遣隋使、遣唐使が派遣され、直接中国から影響を受けた(恵日らが『諸病源候論』を持ち帰る)。律令制度(大宝律令701年)が 整えられる中で、鍼博士、鍼生といった官職が鍼灸を扱う医療職として設けられました(医疾令)。


    [平安時代前期]  (中国の考え方の吸収、日本古来の医学再評価) [鍼灸]:貴族の為の医療

     8世紀には中国の考え方や文化・文明を吸収しようという動きが盛んな時代。 9世紀には日本古来の医学を評価する動き、日本各地の神社や民間伝承医学を中央にあつめて編纂するように勅命が出される。『大同類聚方』や『金蘭方』(散佚)。894年遣唐使廃止


    [平安時代後期]  (中国医学の日本化) [鍼灸]:医学全書作成の中で整理される

     日本現存最古の医学全書『医心方』が作成された。平安時代に鍼博士の地位にあった丹波康頼が当時までに舶来していた多くの中国の医学書をもとに編纂し、984年に円融天皇に献上したもの。唐の時代の200以上の中国医書を整理し(現在中国で亡失したものも含む)、当時の日本的な視点から編集して書かれている。


    [鎌倉・南北時代]  (僧医が主体となり、民間への浸透)  [鍼灸]:鍼は宮廷。灸は民間へ

     武士が台頭、仏教の僧が医学を行う僧医が盛んになり、民間医療の中心的役割を担う。栄西が書いた『喫茶養生記』など、民間にも浸透していった。医学理論は中国の宋の影響をうけた。経験医学的なものが力をもつようになり、開業医が現れ、報酬をとって診療するようになる。


    [室町、安土・桃山時代] (日本での医学の発展と実践、西洋医学伝来)  [鍼灸]:寺院で灸治療が盛ん。視覚障害者の組織化

     僧医が直接中国で学んで医学を持ち帰り、鍼や医学の専門化が進み、専門分野の科(婦人科、小児科、眼科)が確立。鍼は宮廷で勢力が落ち、薬物療法と鍼が分離して各流派ができる。視覚障害者の組織ができて、鍼を学び始める。1543年にポルトガル船が種子島に漂着後、スペイン、オランダなど西欧諸国から直接来日し、南蛮医学やキリスト教を伝える。また、中国の金元時代の金元四大学派の教えがその後の日本に入り影響を及ぼす。


    [江戸前期] (朱子学が影響、鎖国下でもオランダ経由で影響)  [鍼灸]:鍼治講習所 全国45箇所、盲人への教育制度、管鍼法考案

     朱子学中心で、東洋医学に強く影響。入江流に師事し後に破門となった杉山和一が将軍綱吉の寵愛を受け、盲人に対する鍼灸の教育制度を確立。全国45箇所に鍼治講習所をつくり、日本ならではの鍼管をつかった管鍼法を考案(現在の主流な鍼の技術)。 西洋医学では、オランダのカスパル流の外科が伝わった。人体の捉え方も東洋医学に通じるところがあり、まだ現代西洋医学への発展の前。


    [江戸中期] (経験的・実践的な医学出現、人体解剖も) [鍼灸]:『鍼灸則』70穴の治療法、腹診が重視される。中国古典への回帰

     朱子学から儒学に戻ろうとする動きが活発。経験的・実証的な医学を目指そうとする医師が出現(古方派、これより前の派閥は後世派と言われている)、この中で腹診が重視され、現代鍼灸の診断にも伝わっています。名古屋玄医、後藤良山らが「傷寒論」(中国の古書)に帰ることを主張。 健康書として、貝原益軒が『養生訓』を執筆。蘭語の研究(青木昆陽)が盛んになり、人体解剖(杉田玄白)も行われるようになった。 鍼灸では、菅原周圭が『鍼灸則』という本を出し、70穴で治療できると主張。


    [江戸末期] (日本古来に戻れ、折衷派、ヨーロッパ医学の影響など様々な考え方)  [鍼灸]:温泉やあん摩が注目、鍼灸の様々な研究

     封建社会が崩れ始める時代、日本の国学が重視され、中期以降の和方がおき、医学の日本古来にもどれと主張されたり、温泉やあん摩が注目された時代。蘭学の翻訳禁止が解かれ、シーボルトなどの活躍もあり、ヨーロッパ医学の影響も大きくなってきた。

     医界の政治権力は、考証学派と総称される医師達によって、鍼灸医学のバイブルである『黄帝内経素問』『黄帝内経霊枢』などの原典に関する詳細な研究が なされ、本場中国でも高い評価を受けることになります。森鴎外の『澁江 抽斎』、『伊沢蘭軒』などの歴史小説はこうした考証学派の医師達の記録をまとめたもの。

     鍼灸では、石坂宗哲が和蘭折衷をし、東洋医学の古典を西洋医学的用語に置き換える試みをおこなう『鍼灸治要一言』という本をだしたり、経絡を否定する人や、刺絡など様々な考え方がでてきている。


    参考文献:全日本鍼灸学会雑誌 日本鍼灸の歴史 形井 秀一 



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STAFF

プラムはりきゅう院

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院長

梅川 竜一

[所有資格]

はり師免許、きゅう師免許、あん摩マッサージ指圧師免許

NASM(全米スポーツ医学アカデミー) コレクティブエクササイズスペシャリスト


[業界歴]

・東海医療学園専門学校 総合臨床センター スタッフ(水曜日担当)

・日本メディカル美容鍼協会所属 美容鍼マスター認定

・長野式臨床研究会 学科認定


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プラムはりきゅう院

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050-3551-0089

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平日:9:00~21:00(最終入室 19:30)

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定休日

水曜日・祝日・第4日曜日

※研修などで不定期に休みにしますので、ご予約の際にご確認下さい。

代表者名 梅川 竜一
備考

完全個室

最寄りの施設 沼津駅から車で約10分、江原公園交差点から車で約2分

駐車場

JR沼津駅からリコー通りを北上し、車で十数分の場所で鍼灸院を運営しております。院長によるマンツーマンの施術を行っているため、患者様が他の方と顔を合わせることはございません。衛生管理を徹底した安らげる環境で、心地良く効果の高い施術をご体験ください。

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